川内印刷の歴史

明治7年 -1875年- 創業

初代和紙商河内忠治郎、手引活版ハンド印刷機(ドイツ製)3台にて開業。宮城県登米郡登米町寺池桜小路89番地。

当時を物語る資料

仙北一をほこる川内印刷社

▲昭和30年頃 登米本社前にて(社内報新聞記事)

明治12年 -1880年-

二代目猪股善蔵(旧名:河内百吉)猪股家の養子となる。

明治17年 -1885年-

手引活版ハンド印刷機7台、石版手廻印刷機2台、工員数25名となる。 二代目猪股善蔵の石版技術は名人芸とまで謳われ、全国各地より見習実習生が来社、県内は勿論、 遠く宇都宮、福島、函館等に当社の姉妹工場が開設されて、これらの印刷会社は現在においても繁栄している。 民営当時のきざみ煙草の商標レッテルや、明治大正にわたる生糸の輸出レッテルなど種々の石版、活版の印刷物は河内石版と刻印され現存しているが、その精巧さは抜群の技術であったと現在でも高く評価されている。 特に当社特製の養蚕種紙は、東北各地のほか、四国・九州方面まで全国にその販路を広げていた。

明治40年 -1908年-

三代目猪股才吉、東京博文堂に入社、印刷技術を習得、帰郷後最新式活版手廻ロール13台。 (1台に3人付1分間15枚刷)石版印刷機手廻4台(1時間50枚刷)を増設した。

昭和12年 -1937年-

動力用オフセット印刷機を導入する。

昭和15年 -1940年-

河内活版舎と改称する。

昭和25年 -1950年-

(有)川内事務機創業(当時は川内紙工社といった。その後、川内資材社と改名。)

昭和29年 -1954年-

川内印刷株式会社に法人化する(社員40名)。

昭和32年 -1957年-

宮城県登米郡迫町佐沼的場へ支店開業。

昭和34年 -1959年-

四代目猪股良一郎社長に就任。

昭和36年 -1961年-

宮城県登米郡迫町佐沼錦へ印刷工場を移転新築。 (登米尋常高等小学校の2号校舎を佐沼、仙北木工(株)様の工事で解体移築。基礎工事は石越町、千葉土建(株)様。) 労働大臣賞受賞。

当時を物語る資料

川内印刷八十年のあゆみ

▲川内印刷80年の歴史を振り返る社内報

昭和37年 -1962年-

宮城県労務管理モデル事業場に指定される。(日本工業新聞・労働週報ほか中央業界紙などに労務管理厚生施設等の記事掲載される)

当時を物語る資料

川内印刷佐沼工場新築落城記念

▲川内印刷佐沼工場新築落城記念を伝える社内報新聞記事(昭和43年)

昭和55年 -1980年-

本社社屋を改築(登米本社・佐沼支社で社員100名)。本社宮城県登米郡登米町寺池桜小路89番地。
支社宮城県登米郡迫町佐沼字錦150番地。

昭和56年 -1981年-

創業100周年並びに本社社屋新築落成記念式典を行う。(登米本社二階ホールで挙行)

昭和57年 -1982年-

ハイデルベルグ社KORD菊半切1色機(ドイツ製)を導入する。

当時を物語る資料

川内印刷佐沼工場新築落城記念賀正

▲川内印刷工場新築落城記念を伝える社内報新聞記事(昭和57年)

昭和62年 -1987年-

創業110周年記念式典において代表取締役社長猪股良一郎が会長に、常務取締役猪股育夫が五代目社長に就任(昭和62年6月20日) (社員80名)

昭和63年 -1988年-

ハイデルベルグ社SORKZ菊半切2色機(ドイツ製)を導入する。

平成2年 -1990年-

ハイデルベルグ社SORDZ A全判2色機(ドイツ製)を導入する。

平成4年 -1992年-

活字を廃止し、モトヤ製タイプ・モトヤ製ワープロ・写研の写真植字機を使用。

平成5年 -1993年-

タイプを廃止し、ワープロ、写真植字機を併用。

平成6年 -1994年-

迫支社新築落成(工場面積600坪・敷地面積3300坪)。(平成6年8月22日) 登米本社設備と、佐沼錦支社設備一式を移動して迫町森の新工場に統合。 創業120周年および迫支社新築落成記念式典を行う。

平成7年 -1995年-

ハイデルベルグ社MOV菊半切4色機(ドイツ製)を導入する。 マッキントッシュ(Power Macintosh8l00/100)2台初導入(平成16年現在16台)。

平成8年 -1996年-

ホリゾン社製自動丁合機(4タワー式・A4・60段120P)、ホリゾン社製三方断裁機を購入。製本をライン化し、大幅に省力化図る。写植を廃止し、ワープロ(モトヤ レーザー7・アクシスマイ4・イレブン計13台)、マッキントッシュを併用。白黒イメージセッターを設置し製版カメラを廃止。

平成9年 -1997年-

三方断裁機の後工程として自社開発設計の自動収納装置(ブックソーサー)を設置し、省人化実現。(五代目社長猪股育夫発案) scitexカラースキャナー「Smart340L・A3」・AGFAカラーセッター「AVANTRA25s・A2」を導入し、完全自社カラー製版を開始(DDCPはIMATIONのRAINBOW)。

平成13年 -2001年-

AGFAカラーセッター「AVANTRA44XT」を導入し、菊全判フィルム出力に完全対応(DDCPはEPSONのPX-9000・PM-9000C)。 ハイデルベルグ社スピードマスター102-4PH型菊全判4色機(ドイツ製)反転印刷付きを導入する。

平成14年 -2002年-

ハイデルベルグ社スピードマスター74-4PH型菊半切判 4色機(ドイツ製)反転付きを導入する。

平成15年 -2003年-

第3次増築計画により工場面積760坪(2500㎡)に拡大、敷地面積2200坪(7260㎡)。

平成16年 -2004年-

オサコ製作所製サドルステッチャー中綴じ製本加工機、「エスタール」導入(A4判針金中綴じ最大68ページ・3方向同時断裁・2穴穿孔装置付き)。1時間あたり最大10000冊加工。

平成17年 -2005年-

ISO14001環境マネジメントシステム認証取得(日本品質保証機構) 2005年8月、アグファCTP(コンピュータートゥプレート)導入・A1刷版を1時間あたり15枚出力(DDCPはPXH-10000・PX9000・PM9000C)。

平成21年 -2009年-

本社を迫町字森平柳258番地に移転登記(川内事務機も迫町佐沼字中江4-13に本社を移転登記)。企画デザインの会社としてブレーンハウス川内(株)設立。

平成22年 -2010年-

新型アイマック10台導入

平成23年 -2011年-

ハイデルベルグ社スピードマスター102-4VC型 菊全判4色機(ドイツ製)を導入する。(特筆すべき出来事として3月11日午後2時46分、東日本大震災が発災し、弊社も被害甚大であった。)

平成24年 -2012年-

アグファCTP AVALON N8-22(オートローダー付・5カセット)(B1刷版を1時間あたり19枚出力)。